俯瞰でみるということー軽く軽くなっていくための秘訣
最近 繰り返し思い出している言葉。
"俯瞰でみる"ということ。
目の前のドラマの渦に飲み込まれ 条件反射のように感情をダイレクトに放つまえに
一歩さがって というか ちょっと 1メートルくらい 上にあがって
観察者の視点で起こっている事をみてみる。
私はなんで この出来事に出くわし なんでこんな感情がでてきたのか。
今 起こっているドラマの登場人物の一人としてではなく それをちょっと離れたところから見ている観察者としての"本来の私"なら この起こっている事にどう反応するだろうか。
例えば。
以前は(まあ 今でも時々)言われた事にたいしてすぐにムッときてイラついたりしてました。
けれども今は一瞬ムッとしても すぐに "あれ なんで私この言葉にそんなに反応するんだろう" と考えてみるわけです。(まだまだ100%出来ている訳ではないですが)
そうすると その言われた額面どおりの言葉よりも 勝手にその中に自分のコンプレックスを刺激する事をみつけだして それに過剰にもしくはモヤモヤと反応している自分を発見したりするのです。
そしたら自分にそのコンプレックスがあることを認めて、そして それを手放すようにするのです。それを何度も繰り返していくのです。
そうするとあら不思議。なんか毎日が楽なのです。軽いのです。軽いからなんかあるとすぐふわっと上にあがることができて さらに俯瞰でものごとが観やすくなるのです。
そしてさらにストレスフリーになっていくという好循環が起こるのです。
解説しましょう。
仕事場で同僚や上司に"それ(いまやってる仕事)いつ終わるの?"と聞かれたとします。
私は その件に必死で取り組んでる最中でストレスがかかっているので(ここですでにドラマ1の中に埋没して 俯瞰どころか周りも観えなくなっているわけですが)
シンプルに聞かれた事に対して
"後 30分くらいかな"と判断し 答えればいいだけのところを
時間がかかりすぎていると思われてる
だめなやつと思っているに違いない
なんで私はこんなに仕事がノロいのかな
私ってなんてダメなんだろう
という被害妄想的な事から(自己愛の欠如。人からどうみられるかが判断基準)
なんで私の出来る部分をみてくれないのかな
私はこんなに丁寧に仕上げているのにそれを評価してくれてない
私にはあの人よりはマシなのに
私を褒めて、認めて
という他者からの承認欲求や人との比較することで自分の立ち位置をはかる(自分で自分を認めて受け入れることができていないので必要)などなど
自分の闇の部分を単純な質問に一瞬にして詰め込み自らドラマ2に埋没していくわけです。
そうして勝手に自分で自分を追い込んでストレスを増加させ、結果相手に愛想のないストレスを与える反応を返したりしてさらに自己嫌悪に陥り どんどん連鎖的にドラマは増え続け ずぶずぶとドロ沼のような、重油の池みたいなところへ沈んでいくわけですね。身体に纏わり付いてくるので重く重くなっていくし、浸かれば浸かるほど落ちにくくなるので、なにかで ちょっと軽くなって 上に上がっても長続きしないのです。まだ 脚の部分が抜けてなかったりするー自分の闇の部分をみつけて認めて手放していっていないので。
"そんなー 物事に率直に反応しないなんて人間らしくないー"
"重い部分があってこそ 深み、人間味がでるんじゃないの?"
"能天気すぎない?"
というエゴの声が聞こえたりしますが そもそもそんなドラマを体験したくて人間になって地球に生まれてきたわけで でも、もうそろそろ それを終わりにさせたいと考えはじめてのことなので そんな声は無視します。
軽くなっていくと決めたので。
人生は美しく、楽しく、簡単なものだと決めたので。
私の人生はそうなっていくし、そうなりました。
(フフ、過去形の技)
俯瞰で観察中!!
Love&Hugs
LilySmile